私のプロフィール(2000.4/18下の方は、随時更新)


 これでは、全く分からない私の素顔。というか、分かりにくいぃ〜〜。

性別
名前 bochan・ぼちゃん
幼少のみぎりのニックネーム
   古い友人にパッタリ会って、この名前で呼ばれると
   「おおっ!」とたじろぎます
年齢 花の40代に突入してからもう,かれこれ,あれやこれやで,なんだかんだで,そんな感じの年齢です。その昔は40才なんて年齢は、はるか彼方と思っていましたが、なってみると「あぁ〜ら、こんな近くだったのね。」という心境です。
好きなタイプ 誰も聞いてないけど、一応書いておきます。
ジョージ・クルーニー、サッカーのフィーゴ、嵐の松潤とか、濃い顔が好きです。。
でも、カトゥーンの田口君、いいよなぁ〜。
住んでいるところ 西日本(主治医に迷惑がかかってもいけないので、ご勘弁)
座右の銘 「生、裏表」〜いいことは裏返せば、悪いこと〜
自分の長所と思っているところは、ひっくり返せば、短所。好きになりすぎると、すぐ嫌いになる。(ちょっと、違うか?意味が)
家族 大学生と高校生と(人数は不明)と旦那が1名(2005.8現在)
趣味 ビデオ鑑賞(映画館は人混み恐怖症で行かれない)
読書・ギャグを考えること・時々、お菓子を作る・庭仕事(これは時々苦痛でもある)
仕事 家内管理業・母親業・税理士事務所パート社員・全国ATM「お先に」一言かけよう運動会長(自称)
性格 人見知り、人嫌い、人付き合い苦手
すぐにカチンときます。結構落ち込みやすく、くよくよと数日気にすますが、立ち直るとすっかり忘れています。
あぁ、この人ダメ、この人苦手と、バリアーをはりまくります。
自分のいけるタイプの人を嗅ぎ分ける臭覚にはすぐれているように思います。
この人はいけるとふむと、ものすごくなつきます。
一番好きだった勉強
1993年頃に始めた簿記の勉強が一番面白かったです。学校では勉強は大っ嫌いだったけど、これほど、勉強が面白いと思ったことはありませんでした。

時間がもっともっと欲しかったです。

けれど、始めて2年経った春に、娘が病気になってしまいました。どこの病院に連れていっても、診断の付かなかった娘の病気を後回しにしてしまい、自分の勉強の邪魔にしか感じられませんでした。

結果、娘の病気は、大変なことになってしまい、3ヶ月入院しました。

その事から、なかなか立ち直れずにいましたが、最近(2000.4)になって、少しずつ自分の簿記の勉強を再会しています。

一番楽しかった勉強
(1995年頃)
娘の病気もよくなり、落ち着いたら、また悪い癖が出てきました。

簿記の勉強は出来ないから、今度はコンピュータスクールへ。

簿記の勉強は、通信教育で孤独な作業だったけど、今度は目の前に先生がいて、直接教えてくれます。楽しい、楽しい一年でした。

私の人生の中で、一番充実した一年でした。

第二の人生のスタート コンピュータースクールの先生が、とてもいい人で、何を気に入ってくれたか(ギャグのセンスらしい)そのスクールで働いてほしいと、言われ、有頂天になりました。
でも、次の日、ネフローゼになったいることが分かりました。

天国から地獄とは、まさにこの事。ジェットコースターで、まっさかさま。

第二の人生どころか、病気ライフの始まり。

で、今は(2000.4)サンディミオンCYA(商品名SANDIMMUN)のおかげで、病気も落ち着き、パートで、上記コンピュータースクールで、簿記を教えています。
私の病気のことも、子供のことも、理解してくれる有り難い職場です。
働く時間は、少しですが、でも、やはり、社会に参加できるというのは、いいことです。

第二のお仕事のスタート  その後、パソコンスクールが簿記の仕事から撤退ということもあり、退職。(今もよく遊びに行っているよい関係。)

 上記勉強が,税理士試験の勉強になり,これを機に家で,勉強しまくるぞー!と楽しく勉強をするはずだったのですが・・・。

 家でいると,子供のことなどが目について,つい要らん一言,二言,三言を言ってしまい,非難ゴーゴー!

 それならばと,税理士事務所のパートに応募!

 ギャグのセンスが気に入ってくれたようではなかったのですが,採用。(2003.2月)

 現在,パート仕事にいそしみながら,勉強しながら,庭仕事をしている,というそんな感じの毎日です。
  

病気の経過(2000.4)

 
 発病してから再発を繰り返す様です。色々ありました。この位大したことないと言われるとそのとおりかもしれません。でも、落ち込みやすい私は、随分落ち込みました。

 未だに病気になってよかったという気持ちにはなれません。病気にならない方がよかったとしか思えません。
 ここまで来るには、いろいろあって大変だったような気もするし、アッという間だったような気もするなぁ。
発病したーーー!!(1997年の春)
それは、ある日突然来ました。
私のプロフィールのところでも、書きましたが、就職が決まって、天にも昇る心境でいた次の日のことです。
トイレに置いてあった、尿の検査紙で、何気なく、見てみたのです。
「?????」
何?何で、蛋白が3+なんだぁ〜〜〜???
ほわぁ〜〜い??

それで、病院へ行きました。
先生も、そう大したことはないだろうと、、
「1週間後に、もう一度来て下さい。疲れたら、蛋白が下りること、よくありますからね。」
などと、言って、ペルサンチンを出してくれました。
うんうん、納得のいく診断でした。

だって、それまで、なんだか少々疲れやすかったりしたけど、そんなことは日常茶飯事な程度のことで、大したことはありませんでした。

だけど、今から思えば、おかしかったのは、お腹が張ってたんです。
今まで、ダスダスだった、ジーンズがもう、パンパンで、ボタンさえも止められない状態だったんです。
「おっかしいなぁ。」
とは思っていましたが、そう気に止めていませんでした。

それは、腹水がたまっていたようでした。(あぁ、恐ろしい)

それから、1週間で、私の様子は、劇的に変わりました。
まず、顔が変わりました。
もう、むくんでむくんで、目頭の引っ込んでいるところまで、ポッテリふくらんで、目頭に縦に皺が出来ました。
お腹は、もうホントにパンパン状態でした。

一番怖かったのは、頭の後ろです。
むくんで、頭がボヨボヨなのです。押すと、引っ込む頭なのです。ソファーで横になっていると、頭を置いている、ソファーのアームの部分が、頭にめり込んで、頭の後ろが、3cm位引っ込んでいるんです。
それが怖くて、横にもなれませんでした。

もともと、気の弱い私は、血を見たとたんにクラクラするしり、それまで元気でも、体温計で熱が出ていると知っただけで、フニャフニャ〜〜〜となります。
でも、この1週間の間に、その気の弱さだけでない強烈なしんどさがやってきました。

結局、1週間後に、蛋白尿が3+、三日続いたということで、ネフローゼという診断が下りて、入院して、腎生検して調べるということになりました。

入院しました〜治療の開始
約50日間、入院しました。

まず、したことは、腎生検。
先生の腕が良かったのか、全然痛くなかったです。恐がりの私は、まるでロボット状態でした。
「はい、上向いて下さい。」
と言われたのですが、下を向いて手を垂れ下げていたまま、上を向いたので、ロボットのようにギギィ〜〜っと、手を挙げていました。

その結果、微小変化群ネフローゼ、ということで、早速、ステロイドの大量投与が、始まりました。
毎日12錠(×5mg)です。
すると、面白いように、おしっこ(食事中の方、すいません。)が出ました。
蓄尿バッグに貯まる、我がおしっこを見て、見とれてしまいました。

すると、体重がグングン減っていきました。
10日くらいで、10kg減りました。なんだか、うれしかった。
足の皮なんか、もう、すごいちりめん皺が寄りました。手で、こうやって、挟むと、ジュンワァ〜〜〜って、感じでした。

その他、体のしんどさは、依然ありました。

それと、おかしかったのは、字が書けない、といいますか、書きにくいのです。
書いても、書けない、とでもいいますか、間違って仕方ないのです。平仮名も間違うんです。勿論、漢字も書けませんでした。
きっと、脳も水浸しになっていたから、脳細胞が一部、壊れているんだと、一人で納得していまいした。(これも、結構怖かったです)

アルブミンという、体に必要な成分の、血液中の濃度が極端に下がっていたみたいで、点滴もされました。(最初に何回かだけ)

ステロイド毎日12錠を4週間、その後、隔日12錠にして、様子を見て、何事もなければ退院ということになりました。

あとは、ステロイド飲んで、腎食食べて、ひたすら安静にするだけの入院生活でした。

だけど、入院生活は、私にとって、ストレス以外の何物でもなかったです。
ステロイドの副作用による、精神状態の不安定もあったのかもしれませんが、まず、夜が寝られない、これほど辛いことはありませんでした。
大体において、人付き合いが苦手な私にとって、1mも離れていないところで、人が寝ているなんて、考えられない状況です。
あんなことならば、家で安静にしていた方が、よっぽど、よかったです。だけど、そこには、私のことを、過敏に心配している、旦那がいて、退院が、少し伸びたのです。
ウ・ウ・ウ・・・。

それと、入院していて、心配だったのは、家でいる子供達のことでした。
入院が決まった時点で、旦那の父親、おじいちゃんが留守番に来てくれることになりました。とても、器用なおじいちゃんで、ご飯作りから、掃除、洗濯まで、頑張ってくれました。
だけど、この春には、長男の小学校の卒業と、中学の入学があり、大変寂しい思いをさせてしまいました。その頃の写真を見ると、寂しそうな顔が映っています。

ごめんね。

退院してから〜再発まで

退院してから、おじいちゃんにも返ってもらって、ボツボツと生活が始まりました。

家事を少しずつ、やり始めました。
こんなに、家事が出来ることが、うれしいとは、思いませんでした。
入院中、料理番組を見ては、
「あぁ〜〜、唐揚げ、揚げたい〜〜〜」
と、思っていた、唐揚げも、揚げることが出来ました。

そんな中、夏に、毎年受けている、子宮ガン検診を受けたら、子宮頸部に疑いがという結果が返ってきました。
もう、泣けて、泣けて・・・
なんで、私だけが、こんな辛いことばっかり、と、大泣きしました。
それで、大きな病院で、調べてもらったら、
「子宮頸部が大したことないけど、体部に悪い細胞があるから、子宮を取りましょう」
ということで、入院の日まで決まりました。
もう、この世の果てでした。
友人は、
「先に行ったら、賽の河原で、石でも積んで、待っていて」
なんて、言うし、
で、結局、
もう一度、細胞を、専門的なところに送って、見て貰うと、セーフ、ということで、
無罪放免とは、いきませんが、3ヶ月に1回、検査を続けるということで、手術は免れました。

ネフローゼの方は、順調に、4週間に1錠ずつ、ゆっくり、ゆっくりと、ステロイドを減量していきました。

隔日の9錠から、8錠になり、今度で、7錠。
先生は、再発の可能性を、繰り返し、言うけど、もしかして、私、このまま、治るんじゃないの?なんて、甘いことを考えていました。

再発〜ドンピシャリ〜1997年秋

蛋白が出始めて、アラ〜〜〜ってな具合に、再発でした。

もう、この時は、何とも言えない気分でした。
はっきり言って(もごもご言ってもそうですが、)発病の時よりも、辛かったです。
人間、突然来る、不幸よりも、期待していて裏切られる不幸の方が、心の傷は深いです。

よく、中年の女性の方が、万引きする、というのを聞きます。
それに、家庭に恵まれない、子供が、気持ちの持って行き場がなくて、非行に走りますよね。
その心境がよく分かりました。

なんか、気持ちが泳いでいる、とでも言うのでしょうか。
定まらない焦点で、自分の悲しい気持ちを、見ている、とでも言うのでしょうか。

友人に話しても、この気持ちは分かってもらえず、家族にはもうこれ以上心配をかける気もしなくて、たった、一人で、落ちていく夕日を、眺めている心境でした。
辛かったぁ〜〜〜〜。

そうして、ステロイドは、またまた、毎日12錠になるんでございます。

1度目の再発から、2度目の再発まで、

またまた、パンパンのムーンフェイスに、なりました。
この頃、病気は体力だーーーー!!!
とばかり、食べてばかりいたので、元の体重から、10kg位太っていました。

今思えば、蛋白制限なんか、ぜんぜーーんやっていませんでした。

ある日、20歳の姪に会うと、久しぶりにあう、彼女はとてもスレンダーなボディーで若さ故の美しさもあって、とにかく美しかったのです。
その彼女に
「○○ちゃん、どしたん?その顔。太っとん?」
と、聞かれました。
オーノー!!!
これは、いけません。もう痩せなければいけません。
買い物に行っていて、子供が
「ねぇ、お母さん。」
と、掴まったところは、私の、脇の盛り上がったお肉でした。
掴んだ子供が、びっくりして、顔色を変えていました。

それから、一念発起のダイエット!って、言うかぁ、食べ過ぎを止めただけ。
で、元の体重に戻りました。

帯状疱疹にもなりました。

またまた、毎日12錠から、隔日の12錠に、それから、ゆっくりゆっくり、4週間ごとに1錠ずつ減量していきました。

ステロイドが減っていくなか、耳のピアスの痕が、真っ赤のパンパンになっていきました。皮膚科で、ステロイドの注射等をしてもらっても、全然よくなりませんでした。

今回は、隔日の8錠から、エンドキサンを併せて飲むことになりました。免疫抑制剤の1種で、2ヶ月間しか、飲めないとのことです。
このエンドキサンはよく効いて、ステロイドは早いペースで、減っていきました。

またまた、懲りない私は、このまま治るのかなぁ、なんて、甘いことを考えていました。

2度目の再発1998年7月

ステロイド隔日の3錠のところで、再発でした。
やっと、顔も小さくなってきたのに、もう、イヤ!

でも、今回は、前回のように、落ち込むこともありませんでした。

あぁ、はいはい、って感じでした。

またまた、ステロイドの増量。
でも、今回は、毎日の10錠から行きましょうとのこと。
それで、蛋白尿は消失しました。

今回は、隔日の8錠のところで、免疫抑制剤サイクロスポリンを、併せていきませんか?とのこと。ハイハイ。
やっていただきましょう。

〜現在に至る

またまた、可愛いムーンフェイス・・・ウソです。みっともない顔です。

何がイヤって、この顔がイヤです。

サイクロスポリンには、腎臓に障害を起こす、副作用があるらしく、それも心配だけど、だけど、1度でいいから、ステロイドと縁を切ってみたいです。

でも、こんなHPを開けるようになっただけ、自分では、ほんの少しでも、立ち直ったのかな?と、思っています。

こんな風に、私は、一人で寂しかったんだと思います。
病気の人間のひがみかもしれないけど、健康な人の中にいると、たった一人でいるような、そんな寂しい気持ちになってしまいます。

今、病気の人も、一人で、悩みを抱え込まないでほしいです。

病気の人間なんて、ごまんといるんです。
自分はまだまし、とか、こんな事になっちゃって、とか、考えちゃうけど、
自分の身に起きたことを、真正面から受け止められるようになったら、とても素敵なことだと、思います。

本当の現在に至る〜1999.7/11

久しぶりに読むと、この病気の経過のファイルも、力入っているなぁ、と、関心しました。

現在は、サイクロスポリン様々のおかげで、夢のステロイド0に、突入することが出来ました。
ムーンフェイスは、マシになったのでしょうが、まだ、丸いような気もします。でも、一体、私の元の顔は、どんなだったか、忘れてしまっている自分が悲しい・・・・。

今は、発病時、再発時の、ショックから、遠ざかっているので、割と、平穏な精神状態でいるような気がします。

でも、病気以外でも、色んなイヤなこと、大変なこと、たくさんあるし、病気で気づいたこと以外にも、私の生活には、たくさんの価値のあることもあるし・・・・。
と、考えたりしている毎日です。
これが、分かっちゃいるけど、なかなか、難しいもんですね。

多分、サイクロスポリンは、2000年の秋くらいまでは、飲めそうです。その頃に、腎生検をして、腎毒性の副作用を調べて、腎臓くんが傷んでなければ、飲み続けられそうです。

このまま、このまま・・・・。
そぉ〜〜っと、時が経てばいいのになぁ。

真実の現在に至る〜(20004/18)
うぅ〜〜ん、何か今は、HPの更新作業がなかなかはかどらなくて、あまり、病気のことが考えられないというのが、現状でしょうか?

そういった意味では、なんだか、私も進歩してるじゃないと、頭に月桂樹の葉っぱを載せて、
「今日、初めて自分で自分を誉めたいと思います。」
と、有森裕子さん風に、言ってみたいのですが、早く、後のファイルを仕上げなくては・・・・・。

今年の秋には、CYA(商品名SANDIMMUN)を切ります。それから、腎生検をするのか、また、再発したときに受けるのか、はたまた、再発しても腎生検しないのか、再発せずにいけるのか・・・・、と考えることはたくさんあります。
でも、でも、でも、ひとまずは、HPの更新作業に没頭する、これも、またヨシ!ですよね。

ちゅうことで、もう、絶対に更新はしません。ええ、ええ、もう、フォーエバー致しません。これで、永遠にいきます。ええ、いきますとも!!
まさに現在に至る(2001,1/15)
 去年の年末にCYAとさよならして、ドキドキしながら毎日暮らしています。
 多分、そのうち再発するでしょう。そんな感じです。
 そんな気弱な事言いなはんな!と言われそうですが、でも、すんごいアレルギー性鼻炎の嵐が吹きまくっています。数日おきに、抗ヒスタミン剤のお薬を飲んでいます。

 でも、いいんだぁ。という心境です。1日でも長く、お薬0の日が続けばいいやぁ、という心境です。

 ステロイドに戻してもいいし、腎生検したら、またCYAが飲めるだろうし・・。と。

 先の事は考えません。今が大事です。
全くの現在に至る(2004.1/31)
 去年の年末に、薬0で3年という金字塔をぶったててしまいました。うるうる。うれしい。

 あの病気で再発で副作用で苦しんでいた日々は一体何だったのと思う事もあります。

 病気は私に色々な事を教えてくれました。それは今も私の中に、宝物のようにしまってあります。その一つのお話です。

 先日、仕事のお昼休みに、パート仲間の同年代の女性の方々と話しをしていた時の事なんですが・・・。

 御客さんの中に、多分40代前半辺りの年齢であろう、すっごく美しくて、すっごい仕事のやり手で、多方面に事業展開をされていて、かっこいい女性の社長さんがいらっしゃるんですね。その方の話題になってて。

 車は、赤のアルファロメオに乗っていて、さっそうと、車に乗って行く姿は格好イイよねぇ〜。うらやましいよねぇ〜〜。

 という話になったのですが、そこで、またまた、私のあまのじゃくの性格が頭をもたげてきまして・・・。

「うぅ〜〜んんん!ぜぇ〜〜んぜん、うらやましくない!!パソコン入力の仕事をポチポチやっていて、家に帰ったら、唐揚げ揚げて、お母さんの唐上げおいしい!って、言われる方が、ずっとずっと、幸せじゃぁ!」

って、言っていたら、ぐぐっと胸にくるものがありました。

 職場の人には、全く病気の事は言っていないのです。だから、この言葉の裏にある気持ちまでは言い表せなかったのですが・・・。だから、きっと、職場の皆さんには、「またまた、この人は何でも負けず嫌いなんだからぁ」と思われたでしょうが、でも、本当に心の底からそう思えたんです。

 いい車に乗れることよりも、大きなやりがいのある仕事が出来る事よりも、さっそうと格好よい事よりも、病院でなくて、家にいられて、愛する家族に、普通のご飯を作ってあげられることが、何よりも、何よりも、大切で、私にとっての1番の幸せなんです。

 って、こんな普通の事を書いているだけで、涙が止まらなくなってしまいました。あり?この部屋にはティッシュがないから、どれ、その辺りに脱ぎ散らかしてある子供のTシャツで、ゴシゴシと涙と鼻水を拭いて・・・。

 と、こんな風に、自分にとっての1番大事なものが、分かったという点では、私は病気になってよかったと思います。でも、やっぱり、病気にならなかった方がよかったというのが、3年経った本音でもあります。

 そうして、自分にとっての原点を見つめられて、その上で、やりたい事もいっぱいやって、好きな事もたくさんして、格好良く、さっそうと、そうして、美しく生きて行くのです。

 なんのこっちゃ?!
そうして現在に至る(2005.8.22)
 8月の試験も終わり、やれやれという現在です。

 今年の秋には,薬が0になって、5年が経つのです。ハァ〜〜〜って感じです。どう言えばいいのか分からないのですが、
ハァ〜〜ッて感じなのです。

 掲示板に参加できなくなって、もうかれこれ2年くらい経つのでしょうか?

 最初はどうして、掲示板に書き込めないのか、自分でも訳が分からず、すごく自分を責めてしまい、でも,参加できないという摩訶不思議な状況があったのですが、最近になって、少しずつ理由が分かってきたように思います。

 私は、薬が0になって、うれしいのだけれども、でも、自分だけが,病気と離れられて,すごく皆さんに申し訳ないという気持ちがあるんです。私だけが、薬が0になってしまって、どうしても、どぉ〜〜しても、申し訳ないという気持ちで、何を言っても、何を書いても、自分の幸運を自慢しているような気がしてしまい,何も書けないのです。いわゆる「ギルティー」という気持ちなのです。

 今も、入院している人や、どうなるか不安な気持ちに押しつぶされそうな気持ちが心底理解できるだけに、どうしても、お返事が書けないのです。

 おさぼり管理人で、本当にごめんなさい。

 でも、このHPは、私の原点なのです。自分をみつめなおす大事な場所なのです。だから、このまま、掲示板はさぼりつつ、マイペースで、日記だけの参加で、続けさせて下さい。

 という言い訳ばかりの現在なのです。

 日常は、のびたり縮んだり、青くなったり赤くなったりの日常です。家での尿検査を時々、ものすごく体調のよい日を選んで、数ヶ月に1回だけやっている日常です。と言いますか、怖くて怖くて、なかなか出来ない日常なのであります。

 具体的な日常は、上の方にも書いたけれど、税理士事務所での仕事が、少々ハード気味で、「フォーーー!!」(←HG風)って叫びたい気分であります。今日も、疲れて帰ってきて,これを書いているので、文章が暗い目であります。というような,そんな現在なのです。フォーー!!
げに現在に至る(2006.10/23)
 久しぶりにこのページを見て,病気になって9年が経ち,薬が0になって5年が経つんだということに気が付きました。

 上の方を読んで、私の原点をもう一度、思い出したような気持ちになりました。ここんとこ、仕事がバタバタとしていて、少々のジレンマもあったりもしたのですが、数年前まで,私は薬の副作用であんなに苦しんでいたし、病気で色んな事を思いつめていたんだということを、あらためて思い出しました。

 仕事が出来て、しかも、自分の好きな職種につけて、バンバンザイですよね。

 もっと、自分の体を労わって、抱え込まずに、細かい事気にせずに、人に振れる事は振りまくって、もっと楽さしてあげなくっちゃ。と思った次第です。

 唐揚げ,揚げられて、家でいられて、仕事にまで行けて、家族がいて、こんな幸せないですよ。

 そうそう、娘が来年、大学受験なのですが、彼女は薬学志望(あくまでも,志望)なのですが、推薦の選抜も受けるそうなのです。それで,大学に出す志望理由書みたいなのに,
「母が、病気になって入院していた時に、薬の副作用で顔が丸くなっていたり、ずっと点滴をしているのを見て、人の役に立つ仕事をしようと思った。」
とか,
「副作用を減らす薬の開発がしたい。」
とか、
「副作用の情報を患者さんに知らせてあげたい。」
とか,書いてあったのを読んだときゃぁ〜〜、もう、ハッとしましたよ。

 ハッとしたというか、その紙を持って、一瞬他人事のように感じたというか、そんな感じでした。何故かと言うと、病気の事について、深い部分の話は、ずっと私は子供たちの前で話さなかったし、話せなかったし…。ある種,禁句のようになっていたからです。

 だから,その文章を目にしても、
「ここの文章は、分かりにくいし、こういう風に話を切った方がいいと思うよ。」
なんて、サバサバと受け答えをしたのでした。

 でも、知らなかった…。あの子がこんな風に,感じていたなんて…。

 当時、私はこの病気の辛さは、私にしか分からないし、健康な家族の中にいて、本当に孤独を感じていました。

 でも、当時、ムーンフェイスでパンパンに腫れていた私の顔を見て、何も言わなかった小さな女の子であった娘が、こんな風に思っていたとは…。

 今も、私の中にある「病気」は,年月を経て、本当に色んな事を私に教えてくれます。

 そうして、また、タオルで鼻をゴシゴシ拭きながら、今年も,このページを書きました。
で、現在に至る(2007,12,22)
 という訳で、今年も駆け込みで登場です。

 やっぱり今年も上を全部読んで、うるうる、ズルズルきている私です。

 薬0になって、7年も経つのかぁ、と感慨に浸ってしまいます。当時の辛かった気持ちが、フラッシュバックしてきます。

 もしも、あの時、私が病気にならなくて、7年経った今、ここにいる私と、あの時、病気になって、たくさん泣いて今ここにいる私とどう違うのだろうと思います。

 違いの一つは、病気を通じて、色々な人と知り合えた事!

 これは、私の人生の宝物です。このHPで知り合って、みんな病気の泥沼の中で苦しんでいたけれど、悩みや辛さをお互い分かち合って、それぞれ、自分の生活に戻っていけた仲間というのは、私から見ても、お助けマンで有難い人たちです。

 違いのもう一つは、うぅ〜〜ん、よく分かりません。(ガクッ!)

 だって、もう、病気であった自分でしかあり得ないし、これが私だし…。

 人の痛みが分かるようになったとか、言ってもねぇ〜。腹立つ事言われたら、すぐにムカムカして、周囲の人に、「ああだ、こうだ」と愚痴を吐き散らさないと、腹の虫が治まらないほど、人間出来てないし…。地震の時も、1円も、寄付しなかったし(ごめんなさい!)

 人に対して、優しくなったとかって言われても〜
隣の席の大川さん(仮名)には、いつも、厳しく言っていて、この間なんか、可哀想に、な・な・なんと…泣いていたし(ごめんよ!大川さん)

 うぅ〜〜ん、人間的な成長は0!ですかねぇ。

 まだ、トイレの隅に置いてある検査紙の箱。消費期限も、もうずっと前に過ぎているのですが、捨てられません。7年経っても捨てられないから、きっと、ずっと捨てられないのかもしれません。

 この間、職場のお昼休みに、仲のいい人たちと、ご飯を食べていて、何かの話のついでに、自分の病気の話をポロッとしてしまいました。

 自分の口から出て、自分で驚いてしまいました。それまで、職場では、絶対に話せなかった自分の病気の事が、ポロリッと話せたのです。話した自分にビックリしている自分にまたビックリ!

 7年経っても、重いなぁ〜と思いつつ、軽くなっているのかなぁ、とも思います。

今も、病気の真っ只中でいる人達の気持ちは、すごくよく分かります。でも、必ず、こんな日が来ます。だから、日にち薬を、毎日毎日重ねていって下さい。
そして、同じ1日なら、なるべく笑って、笑えない時は、無理をしないで、
でも、同じ1日です。
朝が来て明るくなったら、必ず夜が来て、夜の向こうには、必ず朝が待っているから。
地球は、クルクルずぅ〜っと回っていて、1年、10年、100年、何億年と、ずぅ〜っと回り続けているから
そのたった1日だから、
なるべく、笑っていましょうよう。

 不安な気持ちは、必ず日にち薬が治してくれると思って、少しだけ楽しい事を増やしていきましょう。

 なんだか、説教くさい7年目のprofでした。すんまそん。